自宅のリビングルームで夫を看取って

【演者】近藤慧子    【監修】八木大輔
 
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2006年2月、11ヶ月の闘病を経て、私は自宅のリビングで夫を看取った。
小細胞肺ガンが見つかった時には、余命3ヶ月〜半年で病院での治療法は抗がん剤治療しかない状態だった。
病気の見つかる2年前から、夫は交通事故のため車椅子での生活となっていた。
 
ガンと判ってからも「頑張ってガンを治してやる、見てろ絶対治ってやる」というほど、とてもエネルギッシュな人だった。抗がん剤治療だけでなく、漢方や気功なども取り入れ治療に励んだ。
作業療法士であり、気功を学んでいた夫の妹が毎月、鹿児島から上京し施術してくれ、抗がん剤の副作用もほとんどなく、どんどん体調も数値も良くなっていった。前向きな夫の姿を見て私は、「もしかしたらガンに勝つかもしれない」と思った。
 
しかし、10月頃には転移が始まり顔色はどんどん悪くなり、浮腫がひどくなった。
抗がん剤治療のため再入院したが、夫は「自分の家に帰りたい」と言い、夫の願いをかなえるために家に連れて帰った。
帰宅したその夜、妹が一晩中身体に触れていてくれたことで、翌日夫は気持ちよさそうにすっきりした顔になっていた。
気の力があることを実感した私は気功を学び、それから時間がある時は夫に触れるようにした。身体に触れていることで夫の筋肉がみるみるゆるみ、私の想いが夫に伝わっていることに喜びを感じていた。
それでもガンは確実に進行し、夜は眠れず不安感や冷や汗などで精神的に苦しくなり、優しく穏やかだった夫の言葉遣いは乱暴になりやつあたりが始まった。
 
12月のある日椅子に腰掛け外を見ながら夫は
「俺はガンを憎むのをやめたよ。今までガンを倒すために頑張ったがガンがあまりにもかわいそうだ」
「俺は大酒も飲んだしタバコもやめられない、仕事でストレスをためても休まなかった」
「身体が悲鳴をあげているのにそれに気づいてあげられなかった」
「だからガンはやっつけるのではなくって、俺はガンにゴメンネと言おうと思う」
「自分の手のひらの上にガン細胞を乗せるイメージで、ガン細胞にゴメンネって言うんだよ、そうするとその細胞はふわーっと溶けて空に帰って行くんだよ」
と言った。
具合は悪化するものの、その日から夫はとても穏やかになった。
 
クリスマスに「死ぬのが怖い、夜が怖い」と夫は私に泣きついた。
その姿を息子に見られたことで、夫は子供たちに何かを伝える時が来たと感じ、
「お父さんはもう時間がない みんなとお別れする日が近づいてきた」と子供たちに言った。写真を見ながら「こんな楽しい思い出をありがとう」と言い、娘と息子にそれぞれ声を掛けた。
そして私にはすごく嬉しい言葉を言ってくれた「お母さんは女神だよ、お母さん次の人生でも結婚しよう」その言葉がとても嬉しかった。
 
その後1ヵ月足らずで夫は目が見えなくなり歩けなくなった。
最期の日が近づくと、眠れない日が続いていたのが嘘のように昏睡したようにぐっすり眠っていた。
最期の瞬間にはお酒を口に湿らせ、大好きだったタバコを私が吸って口移しで香りを嗅がせ親戚家族みんなにさすられながら夫は息を引き取りました。
 
医師は良かれと思って「最期の時間はご家族でお過ごしください」と家族だけにするために帰っていったが、娘は「お医者さんに見捨てられた」と違った解釈をした。
娘はお父さんが亡くなることへの覚悟はできていたが、「お医者さんはもっとお父さんを楽にしてくれる」と思っていただけに大きなショックを受けてしまった。
私も娘をうまくフォローしてあげることができなかった。
今でこそ当時の話を人の前ですることができるが、私も娘も立ち直るのに3年半もの月日を要した。
 
交通事故やガンの闘病など色々大変なことはあったが
『最期の日を夫婦で非常に濃い時間を過ごせたこと』
『自分の言葉で家族に別れを告げられたこと』
『自分の命を奪ったガンも憎まないで死ねたこと』
そう考えると夫はなんていい人生を送ったのだろうと思う。