母の闘病に寄り添って考えたこと

【演者】竹本美恵子    【監修】八木大輔
 
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2007年6月、母はガンのため亡くなった
その年の2月、身体の痛みを訴え病院を受診したところガンの骨転移が見つかった。母は病気発見からわずか2〜3ヶ月で亡くなった。
 
私の実家は家業を営み、母は祖母(姑)の介護と家事を全てこなしていた。
体調が悪いはずなのに入院してからも、母は祖母の介護や家の事、仕事のことばかりを気にしていた。祖母が見舞いに来るだけで母は自責の念で余計具合が悪くなってしまうほどだった。
 
病院での治療はすでにほとんどなく、私は付添いながら他の治療法などを調べたが、自分の行動が母の治療に結びつかないことに苛立ちを感じた。
そんな私の気持ちを理解してか、母は私の前で「つらい、きつい」ということは言わなかった、だが母のその態度が私には逆につらかった。
他に私にできることといったら看護師に母の思いを伝えることぐらいしかなかった。
 
治療法のない母に対し病院は退院することを求めてきた。母の前で「退院したらどうか」「他のホスピスに移ってみては」と言われた時には本当にショックを受けた。その言葉は、患者(母)にとって、自分の居場所がなくなるということを意味するからだ。
 
一時外泊をしたが病院にいるときよりも母の具合は悪くなった。
それは、自宅には自分が介護するはずだった姑がいることと、自分が家のことをやらなければならないのにできないという思いをさせてしまったからだ。
 
仕事や介護、家の事などもあり家族は本当に考えるべき母のことを考えているようで自分のことばかり考えていた。家族同士だからこそ遠慮して言えないこともたくさんあった。
あの時、医療者でなくても話を聴いてくれる人がいたならば私も家族も患者(母)もとても助かったと思う。アドバイスではなく私たちの感情を受け止めて欲しい、家族同士では言えないことを聴いてくれる人が周りにいてほしいと強く思った。
 
緩和ケア病棟に入ることを望んでいたが、入ることはできなかった。
病院には緩和ケアチームもあったが、その情報にたどり着くのは容易ではなかった。
自分たちで調べ、頼み込んでようやく緩和ケアチームに入ってもらった。
緩和ケアチームの看護師さんは患者・家族の目線に立って話を聴いてくれた。話を聴いてくれるただそれだけのことで私たちはとても救われた。
 
母の闘病を通じて、私たちの他にも患者・家族の中には自分の想いを伝えたい・聴いてもらいたいと思っていても、それを聴いてくれる相手がいない人たちがいることに気がついた。もし、みなさんの身近に介護や闘病している人がいたら、声を掛けるのではなく、耳を傾けてあげてほしい。それだけで、その人たちは救われるはずです。